2026/01/20 15:16
はじめに
沖縄から世界へ。
感染症研究の分野で国際的に知られ、「ドクター・ネロメ」の名で呼ばれた研究者がいます。
その人物こそ、根路銘国昭(ねろめ・くにあき)
本記事・前編では、根路銘国昭が歩んだウイルス研究者としての道、
本記事・前編では、根路銘国昭が歩んだウイルス研究者としての道、そして国際社会の中で日本の研究の立場を変えていった歩みをたどります。
沖縄・本部町に生まれて
1939年、沖縄県本部町。
この小さな町に、根路銘国昭は生まれました。
代用教員を経て琉球大学農学部へ進学。
その後、北海道大学獣医学部を卒業します。
さらに大学院へ進学中、当時の厚生省の誘いを受け、
国立予防衛生研究所――現在の国立感染症研究所に入所しました。
研究者としての原点
研究所に入って間もない頃、
根路銘が訪れたある小学校で目にした光景が、その後の研究人生を方向づけます。
そこには、インフルエンザワクチンの予防接種を受ける子どもたちの姿がありました。
接種後、子どもたちの腕は10センチほどにも腫れ上がっていました。

その光景に、根路銘は強い衝撃を受けます。
「なんとかしなければならない」
この体験が、インフルエンザワクチンの改良に取り組む原点となりました。
インフルエンザ研究と技術革新
根路銘はインフルエンザを中心とした感染症研究に没頭していきます。


人工膜ワクチンの設計開発、
カイコを用いたワクチンタンパク質の大量生産など、
ワクチン技術の発展に大きく貢献しました。
研究は基礎にとどまらず、実際に人々の健康を守る技術へと結びついていきます。
スペインかぜのルーツを追う
さらに力を注いだのが、ウイルスの進化の研究でした。
なかでも、20世紀初頭に世界的流行を引き起こした
スペインかぜウイルスの遺伝的ルーツの解明は、
ウイルスの起源をたどる研究として、国際的な注目を集めます。
この研究は、感染症がどのように生まれ、広がっていくのかを理解する上で、
重要な知見をもたらしました。
WHOでの闘い
1983年、根路銘は国立感染症研究所の研究室長に就任します。

「学問で、世界と対等に戦う」
その信念は、WHO(世界保健機関)における日本の立場にも影響を与えていきました。
当時、日本は膨大なインフルエンザウイルスのデータを提供していながら、
国際的な政策決定の場には参加できていませんでした。
「日本は敗戦国だから」
そうした扱いに、根路銘は強く異議を唱えます。
「学会に参加できないのであれば、データ提供は行わない」
データ提供を1年間停止するという、異例の決断でした。
日本の情報なしにはワクチン政策が成り立たないWHOは、ついにこの主張を受け入れます。
1992年、日本の国際学会参加が正式に認められ、
根路銘はアジアで唯一の
WHOインフルエンザ・呼吸器ウイルス協力センター長に任命されました。

ウイルス研究の第一線で活躍した根路銘国昭。
発表した論文は350編以上、著書は14編。
国際ウイルス学会功労賞を2度受賞するなど、
研究人生を日本と世界のために捧げました。
後編では、定年退官後、沖縄に戻った根路銘が歩んだ
「第二の研究人生」――がん研究と植物研究についてご紹介します。
▶︎ 後編へ続く
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